「俺の家の話」が「それぞれの家の話」に繋がる話
金曜10時から放送されていた「俺の家の話」を見ました。結果から言うとここ数年で一番いい作品でした!
何故いいか?それは宮藤官九郎さんの集大成的作品だからです。
これまで「木更津キャッツアイ」「タイガー&ドラゴン」「池袋ウエストゲートパーク」など宮藤官九郎さんの作品を見ているとより楽しめる。というか感慨深い作品となっています。
逆に言うともしそれらの作品を見ていなかったら、面白いドラマとは感じるけどここまでの感動や胸に刺さる感じはなかったでしょう。
私自身面白いドラマとは思っていましたが、最終話前の9話までは「今期の中ではいいドラマだなぁ」くらいの感覚でした。しかし最終話でドラマ史に残る傑作だと感じました。
1話~9話まで
大まかな話として第一話のあらすじを記載します。
プロレスリングでマットに叩きつけられ、ロープへ投げ飛ばされながらも、ブリザード寿こと観山寿一(長瀬智也)は、自分の家族について思いを馳せていた。
寿一は幼少時代、重要無形文化財「能楽」の保持者である父の観山寿三郎(西田敏行)から一度も怒られたことがなかった。一緒に悪さをしても、怒られるのは弟子で芸養子となった寿限無(桐谷健太)のみ。しかし寿三郎は、初舞台以降「神童」と讃えられた寿一を褒めることもなく、それが幼い彼の心を傷つけていた。やがて反抗期を拗らせた寿一は、母の死後、家を出てプロレスラーの道へ進む。そこには、寿一が憧れていた家族の形があった。さらに時は流れて現在。ピークを過ぎたレスラーとなった寿一の元に寿三郎危篤の知らせが飛び込んできた。急いで病院に駆け込んだ寿一は、久しぶりに会った弟の踊介(永山絢斗)と妹の舞(江口のりこ)から、一昨年に寿三郎が脳梗塞で倒れたことを聞かされる。別れの挨拶は2年前に済ませたと遺産や相続の話を始める弟妹に激昂する寿一。そして寿一は二十八世観山流宗家を継承すべく、プロレスラーを引退することを決めるのだった。
引退試合を終えた寿一を待っていたのは、寿三郎が退院したという知らせだった。一門の幹部、そして家族を前に、これまでの威厳はどこへやら、デイケアサービスで寿三郎の担当ヘルパーだった志田さくら(戸田恵梨香)と結婚すると言い出した寿三郎。呆気にとられる寿一ら家族を余所に、自身の余命とすべての遺産をさくらに相続すると告げ・・・!?
これが第1話。そして9話までは家族と介護がメインテーマとして描かれていて、多くの人が直面する介護の現実をまざまざと突き付けられます。しかし基本的にはコメディー作品なので、笑って楽しめます。
能とプロレスで揺れる寿一や寿三郎の過去に振り回される踊介・舞・寿限無。そしてその家族を見守るさくらなんど見どころや山場が多く、家族とはというテーマや家業と自分の考え方も描かれています。
若い頃寿一が能から離れたように、舞の息子も能との向き合い方を考えるシーンなど、10代も刺さるシーンがありますよ!
また作中の友情出演的に「池袋ウエストゲートパーク」の登場人物が出演するので、長瀬智也×宮藤官九郎作品が好きな方が楽しめるポイントが満載です。
最終話
そして最終話。第9話まで見て最終話はどうなるか予想していました。大体のドラマの展開として、2パターン考えられます。
1つは寿三郎が亡くなるパターン。家族に見守られながら、今までの思い出や感謝、思いの丈を言って、静かに別れる。そしてそれぞれの家族の話が進んでいく。
もう一つは寿三郎が生きているパターン。介護の大変さを表現しつつも家族が一つとなり、これからも一緒にいろんなことを乗り越えていくという終わり方。
親の介護をテーマにしている以上そのどちらかしかないだろうと考えていました。が、、、
最終話は火葬場の煙突から煙が出ているシーンから始まります。
一瞬でシーンは切り替わり、家族が今まで通り介護しているシーン。寿一の引退試合の後日で、試合の話や遺産相続の話などをしている。
そして寿一が能の「隅田川」を披露する会場にシーンは切り替わり、そこで寿一が既に死んでいるという事実が判明します。
つまり冒頭の火葬場は寿一の葬儀だった。家族のシーンの寿一は寿三郎にしか見えていなかった。という悲しい現実。まじかクドカン。。。
寿三郎は寿一が亡くなったことを認識できない。これも悲しい。家族のみんなは当然理解しているけど寿三郎が寿一に話しかけるのをただ見ていることしかできない。
そして隅田川の演目が始まります。奇しくも隅田川は息子を亡くした母親の話。現実とドラマが交差します。
これが宮藤官九郎作品好きには刺さりました。
タイガー&ドラゴン
能の隅田川と現実がリンクするのは、タイガー&ドラゴンに通じます。タイガー&ドラゴンは主人公たちに起こるエピソードを落語と組み合わせるという斬新な手法を取り入れた作品です。
能の舞台と現実が重なって、寿三郎がようやく寿一の死を認識します。そして寿一との思い出を語り、現実を受け入れます。
そして寿一側もまた死んだことを認識せずに霊として寿三郎の周りに現れます。ここは非現実的ながら、ドラマならではの手法で視聴者を取り込みます。
この微妙な表現は宮藤官九郎さんにしかできない。現実的なドラマだけど現実ではない。
木更津キャッツアイ
そして最終話で主人公が死ぬという展開。これは「木更津キャッツアイ」でも同じ展開があります。
木更津キャッツアイの第一話冒頭では、主人公ぶっさんが病院で運ばれるシーンと病院に通うシーンが交差して、「これが3ヶ月後の俺、そしてこれが今の俺」というナレーションが入ります。
つまり第一話で後に病院に運ばれる主人公が描かれています。そして最終話には同じシーンが映されて「これが3ヶ月前の俺、そしてこれが今の俺」というナレーションがあります。
宮藤官九郎さんは自分の作品でセルフオマージュというか、今まで見てくれたファンだけ伝わる展開を作っていたのです。
木更津キャッツアイは映画化もされて、主人公ぶっさんの死後のエピソードが描かれています。
映画ではぶっさんがなぜか復活するというぶっ飛んだ展開があります。そして生前の友達と再会して言えなかったお別れをするシーンがあります。その中で印象的だったのが友達の一人のセリフです。
「俺たちはぶっさんといた頃に楽しいことは全部やっちゃったんだ。それでもぶっさんがいなくなっても俺たちは生きていかなきゃいけないんだ」
これが「俺の家の話」と重なってかなり響きました。誰かがいなって悲しくても周りの人の人生は続いていく。
俺のいない俺の家の話
寿一が亡くなった後も家族の人生は続きます。「隅田川」の後は家族それぞれの話に進みます。
寿一のナレーションで兄弟や所属していたプロレス団体がどうなるかを説明していくのですが、当然そこに寿一はいません。
寿一はいないのですが、寿一と関わったことによる変化があります。さくらは寿一の願いを受け取り観山家で家族を見守り、まさかの踊介と結婚。寿一の息子である秀生は寿一が元妻に頼み込んだおかげで能を続けて将来は二十九世観山流宗家となります。
寿一が所属していたプロレス団体のプリティ原は寿一が扮していたスーパー世阿弥マシンを継承することになります。他にも寿一が現れたことで周りの人にいろんな影響を与えたことが描かれています。
人はいなくなっても誰かに与えた影響は残るということ、全くの0になることはない。それは良い影響も悪い影響もあるでしょう。人に誠実に接していれば、懸命な姿を見せることが出来れば死後もその人の面影は残るものだ感じました。
これは死後だけでなく例えば卒業・転校・転職・退社・引越しなどさまざまな状況に当てはまります。
宮藤官九郎さんからの「別れ」に対するメッセージでしょう。
そして家族のその後を話した後に寿一は「これが俺のいない俺の家の話だ」と言います。
そして最後の最後のシーンとなり、二代目スーパー世阿弥マシンが戦うリングに寿一が現れて、長州さんをロープにふってからのラリアットで長州さんがバタンと倒れる。そして世阿弥マシンのマスクが飛んでリングに落ちて終わり。
寿一は25年プロレスを生業としていて、最後の最後は能の舞台ではなくプロレスのリングに現れる。という演習もまたグッと来ました。
まとめ
「俺の家の話」はドラマ単体としても面白いですが、宮藤官九郎さんの作品を見ているとさらに楽しめます。
またこれは別の話ではあるんですが長瀬智也さんの事務所退所とも重なり、いくつかの作品を共にしてきた宮藤官九郎さんからの手向けなのかもしれません。
そんな別れが一つのテーマとなっていて本当に見応えがある作品です。
ぜあ!